1337年
千年紀: | 2千年紀 |
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世紀: | 13世紀 - 14世紀 - 15世紀 |
十年紀: | 1310年代 1320年代 1330年代 1340年代 1350年代 |
年: | 1334年 1335年 1336年 1337年 1338年 1339年 1340年 |
1337年(1337 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
他の紀年法
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凡例
- 分類にある「日本」「中国」「中国周辺」「朝鮮」「ベトナム」は地域概念であり、特定の国家をさすものではなく、またその外延は便宜的に定めたものである。特に「*」の付された王朝の分類は仮配置であり、現在も「ガイドライン」のノートで対応を検討中である。
- 「中国周辺」は、「広義の北アジア、中央アジア、及びこれに隣接する中国の一部地域(ほぼ中央ユーラシアに相当)」を指す。
- 一段右寄せの箇条に掲げた元号は、その上段の元号を建てた王朝に対抗する私年号である。
- 仏滅紀元及びユダヤ暦は、現在のところ元年と対応する西暦年から逆算した数を表示しており、旧暦等の暦日の記述とともに確実な出典を確認していないので利用には注意されたい。
- 皇紀は日本で1873年の太陽暦採用と同時に施行された。
- 檀紀は大韓民国で1948年から1961年まで公式に使用された。
- 主体暦は朝鮮民主主義人民共和国で1997年から公式に使用されている。
- 仏滅紀元は紀元前543年を元年とするタイ仏暦を基準にしている。スリランカなどでは紀元前544年を元年としているので1を加算されたい。
- 干支:丁丑
- 日本
- 中国
- 元:至元3年
- 朱光卿:赤符元年旧正月 - 旧7月
- 元:至元3年
- 朝鮮
- ベトナム
- 仏滅紀元:1879年 - 1880年
- イスラム暦:737年 - 738年
- ユダヤ暦:5097年 - 5098年
カレンダー
- 1337年のカレンダー(ユリウス暦)
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できごと
- 1月23日(延元元年/建武2年12月21日) - 後醍醐天皇が京都を脱出して吉野へ移り南朝を開く(南北朝時代の開始)。
- 4月7日(延元2年/建武3年3月6日) - 斯波高経、越前金ヶ崎城を攻略(金ヶ崎の戦い)。
- イングランドのエドワード3世、ヴァロワ朝フランス王国に対し宣戦布告。百年戦争始まる。
誕生
「Category:1337年生」も参照
- 2月25日 - ヴェンツェル1世、ルクセンブルク家の初代ルクセンブルク公、ブラバント公(+ 1383年)
- 6月10日(延元2年/建武4年5月11日) - 千葉氏胤、南北朝時代の武将、千葉氏の第13代当主(+ 1365年)
- 小田孝朝、南北朝時代、室町時代の武将、小田氏の第9代当主(+ 1414年)
- シュテファン3世、バイエルン公(+ 1413年)
- 忠穆王、第29代高麗王(+ 1348年)
- 陳睿宗、ベトナムの陳朝の第10代皇帝(+ 1377年)
- 鄭夢周、高麗の儒学者(+ 1392年)
- 鄧愈、明の軍人(+ 1377年)
- ルイ2世、第3代ブルボン公(+ 1410年)
- ルドヴィーコ、シチリア王(+ 1355年)
死去
「Category:1337年没」も参照
- 1月8日 - ジョット・ディ・ボンドーネ、イタリアの画家、彫刻家、建築家(* 1267年頃)
- 2月13日(延元2年/建武4年1月12日) - 瓜生保、鎌倉時代、南北朝時代の武将(* 生年未詳)
- 4月7日(延元2年/建武4年3月6日) - 尊良親王、鎌倉時代、南北朝時代の皇族、後醍醐天皇の皇子(* 生年未詳(1306年から1311年頃))
- 4月7日(延元2年/建武4年3月6日) - 新田義顕、鎌倉時代、南北朝時代の武将(* 1318年)
- 4月7日(延元2年/建武4年3月6日) - 得能通綱、鎌倉時代、南北朝時代の武将(* 生年未詳)
- 4月19日(延元2年/建武4年3月10日) - 細川直俊、鎌倉時代、南北朝時代の武将(* 1319年)
- 5月26日(延元2年/建武4年4月26日) - 天目、鎌倉時代、南北朝時代の法華宗の僧(* 1245年)
- 6月7日 - ギヨーム1世、エノー伯。ホラント伯、ゼーラント伯(* 1286年)
- 6月11日(延元2年/建武4年5月12日) - 珣子内親王、後醍醐天皇の中宮(* 1311年)
- アネシュカ・プシェミスロヴナ、ヤヴォル公ヘンリク1世の妃(* 1305年)
- 一色頼行、鎌倉時代、南北朝時代の武将(* 生年未詳)
- 相馬重胤、鎌倉時代、南北朝時代の武将、陸奥相馬氏の第6代当主(* 生年未詳)
- フェデリーコ2世、シチリア王(* 1272年)
- ムーサー、イルハン朝の第11代君主(* 生年未詳)
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、1337年に関連するカテゴリがあります。